官浪の文房具雑学~早川式繰出鉛筆編~
今では代表的な文房具になっている「シャープペンシル」ですが、このシャープペンシルは1800年代にアメリカで開発されたようです。日本で初めて繰出鉛筆を開発したのは大手家電メーカー「シャープ」の創業者である早川徳次氏です。1893年(明治26年)ちゃぶ台の製造販売業の三男として生まれた徳次氏は、生後1年11ヶ月で出野家の養子となり、過酷な幼少期を過ごしたが、錺屋職人のもとで丁稚奉公をすることになり、金属加工に関する技術を身につけていきました。そして一人前の錺職人となった徳次氏は、1912年(明治45年)ベルトに穴を開けずに使えるバックル「徳尾錠」を発明。また金属加工の技を生かした万年筆のキャップに模様を入れたリングを取り付ける方法を考え出しました。これが後のシャープペンシルの誕生へと繋がっていきました。取引先から繰出鉛筆の内部部品の製造依頼を受け、その研究開発に取り組みました。それまでにもセルロイド製繰出鉛筆は存在しましたが、金具が何個も組み合わせてあるので壊れやすかった。そこで外装はニッケル製の金属軸にして、内部に一枚板の真鍮を使いました。螺旋形の細い溝を切って心棒の繰出装置をはめ込むと、心棒はみぞを通って先の芯を押し出すという仕掛けを考案し、1915年(大正4年)ついに完成しました。みぞを掘った繰出鉛筆の内部構造を持った鉛筆は、世界中のどこにもない画期的な発明品でした。「早川式繰出鉛筆」の名前で特許を申請し、兄の政治氏とともに「早川兄弟商会金属文具製作所」を設立して販売を始めました。しかしながら取引先での評価は芳しくなく、売れ悩んでいました。そこで銀座の伊東屋に通い続けて売り込んだところ少しずつ浸透していき、その後第一次世界大戦で品薄になった欧米から注文が相次ぎ、日本国内でも注文が殺到するようになりました。翌年海外向けに「エバー・レディ・シャープペン」に改名し商標登録。後に「シャープペンシル」に改名して、日本国内ではこの名称が広く使われるようになりました。その後順調に業績が伸びていきましたが、1923年(大正11年)関東大震災が直撃し、工場も家も灰と化した。やむなく早川兄弟商会を解散し事業の全てを日本文具製造に譲渡しました。この関東大震災がなければ「シャープ」は今や文具のトップメーカーになっていたかもしれませんね。