生まれ故郷の羽曳野マラニック 

8日(土) そうだ ! 生まれ育った羽曳野に走りに行こう、と思い立ち即実行しました。近鉄南大阪線に乗り、恵我之荘駅で下車。この駅に降り立つのは約50年ぶりです。駅近くにあった市場やお店はほとんどなくなっていましたが、数軒懐かしいお店も残っていました。生まれ育ち大学卒業まだ住んでいた家があった場所まに立ち寄りましたが、既に洋風の家に建て替わっていました。駅前の大通り(?)と思っていた通りがこんなに狭い道だったのか、ということが分かりました。

自宅近くにあった氏神さんである西川八幡神社に参拝。ここは昔と全く変わっていませんでした。よくここの滑り台や鉄棒で遊んだことも思い出しました。






そこから小学校に向けて進んでいくと、今から約55年ほど前の小学生時代に、毎日のように通っていた文房具店「たるや」の看板が残っていました。もう随分前に閉店した感じですが、文具・日用品の文字がたまらなく懐かしかったです。ここでは、鉛筆や消しゴム・・・新しい商品が入荷する度に買い、店のおばちゃんに「あんた、また消しゴム買うんか! やめとき! 」と怒られたことも思い出しました。今の文房具好きのルーツはここから始まっていたと言っても過言ではありません。

そして東除川を渡ると高鷲小学校。「せんだんの 香りをかいで僕たちは・・」の校歌が思わず口から出てきたのには、我ながら驚きでした。

小学校から高鷲駅まで走り、そして近日 世界遺産に登録される古市古墳群の見学を巡るランニングに。仲哀天皇稜、野中寺を見学し、仁賢天皇稜、応神天皇陵などを巡りましたが、古墳は上空から見るのが最高で、平面的に見てもただの森にしか見えないのが残念です。従って写真はありません。

応神天皇陵から誉田八幡宮を経て古市駅へ。石川河川敷公園に出て、ランニングコースを下り駒ヶ谷・大黒橋まで。橋を渡ると、見えてきました我が母校。懐風館高校( 旧 羽曳野高校) です。ここに入学したのは昭和46年で、今から48年も前のことです。羽曳野高校第1期生で、入学当時は校舎も半分程度、グランドもなく、もちろん体育館もプールもない状態での1年間だったことも思い出しました。体育の授業は近くのぶどう山を走り、夏の時期は学校前の石川で、竹の棒で橋を渡るいわゆる「棒高跳び」のような授業がありました。楽しかったなぁ。そんないろいろな思い出を思い出すことができた羽曳野マラニックでした。

Pocket